ローマ書 14章 「生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」 (ローマ 14:8) クリスチャンの社会生活上の基本姿勢を語ったパウロは、続けて、教会におけるクリスチャンお互いの関わりの中での大事なことを語ります。教会を混乱させる最も多い問題は、お互いの間のさばきあいです。クリスチャンは主に救われ、主のために生きようと思う者です。救われた当初、クリスチャンは主の愛に触れ、罪から救い出された恵みに心が満たされ、すべてが感謝で、周りの人々にも感謝と喜びをもって接することができます。しかし、しばらくたって、その感動が薄れ、自分は主のためにきよく正しく生きようとする努力が強くなってくると、自分が正しいと思って一生懸命に励んでいるのに、その基準を知らないのか無視しているのか、間違った道を歩んでいると見える人に気づき、彼をさばきの目をもって見るようになります。そのとき教会は混乱します。そういう事態にならないように、パウロは、クリスチャンは、自分のために生きることを止めて、主のために生きる者とされた者たちなのだ、とクリスチャンの本質を明示し、そこから、彼をよしと見るか間違っていると見るか、彼を生かすか殺すかも、すべて主の問題だ、それなのに、主をさしおいて、あなたが彼をさばくのは、主の領域を侵すことだ、と戒め、それぞれは自分が正しいと確信している仕方で主のために生き、そうでないと見える兄弟たちにもつまずきを与えないようにして、その人の霊的成長を助け、平和を育てるようにせよ、と勧め、信仰の弱い人にたいする正しい接し方を語りました。お前はどうか、と問われているように思いました。
唄野 隆 |