ローマ書 8章 「神が私たちの味方であるなら、・・・。」 (ローマ 8:31) パウロは、律法によれば自分には死しかないと嘆きましたが、すぐ続けて、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」と叫びました。イエスさまとともに死んだ者は律法から解放されていて、何をしても罪に定められることはありません。しかし、古いままの自分が好き勝手に生きてもよいということではなく、死に打ち勝ってよみがえられた新しいいのちを、御霊によって神に向かって生きるのです。そのいのちは私たちのうちに入られたイエスさま、イエスさまの御霊のいのちです。神さまにむかって「お父さま。」と親しく呼びかける御霊です。私たちはその御霊を与えられているのです。私も、感謝し、喜んで、御霊によって、神さまのために生きようと思います。しかしそれが現実となるためには多くの苦難を通ります。でも、その苦難は、やがて与えられる栄光に比べれば取るに足りないものです。私たちだけでなく、すべての被造物も人の罪の実によって苦しんでいます。ですから、彼らも神の子どもたちが現われるのを待ち望んでいます。待ち望んでいると言えば、私たちも、信仰によって救われていますが、なお生まれつきの罪の性質の残りを背負って苦しんでおり、その贖いを待ち望んでいます。しかし、その救いのために御霊も取り成してくださっているのです。そして、私たちを救おうとの神の愛は圧倒的な勝利を約束してくださっています。感謝です。
唄野 隆 |