ローマ書 11章 「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。」 (ローマ 11:36) パウロは、救いは神の恵みによって与えられ、信仰によって受けるものだと語り、イスラエルがそれを拒否したので、神を求めていなかった異邦人に救が及んだ、と語りました。しかし、続けて、主はイスラエルを捨ててしまわれたのではないことを、諄々と論じたてます。昔、エリヤが、バアルに従うアハブ王が主の預言者たちを殺し、主につく者は自分ひとりだと訴えたとき、主は、偶像バアルにひざをかがめない男7千人を残してあると言われたという故事を引いて、主は今も選ばれた民を残しておられ、彼等は律法を守って救いを買い取ろうとする者でなく神の恵みによって選ばれた者たちだ、と語りました。そして、救いが異邦人に及んだのは、ユダヤ人が捨てられるためではなく、彼らのつまずきによって、救いが異邦人に及び、異邦人の救いを見て、ユダヤ人がねたみを起こし、奮い立って、主を求めるようになり、彼らも救われるためなのだ、と語りました。ユダヤ人と異邦人との区別なく、共に神の恵みとあわれみをいただき、主を信じて、救いをいただくのです。人の目には失敗と見えることをも用いて、救いを期待できないような者をも救われる主の救いの御業を悟ったとき、パウロは、「ああ、神の知恵と知識の富は、何と底知れず深いことでしょう。・・・というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」と賛美しました。私も、アーメンです。
唄野 隆 |