ローマ書 9章 「わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。」 (ローマ 9:25) 律法の行いによるのでなく信仰によって救われるということを示され、そのことを語ったパウロは、律法を誇りそれを守ることに努力してきたユダヤ人の反発を招きました。しかし、彼はユダヤ人を愛し、彼らの救いを願っていました。ユダヤ人が信仰を受け入れないことは彼の大きな痛み、深い悲しみでした。主は彼らを選び、ご自身の子とし、律法を与え、約束を与え、救い主キリストも彼らの中から出たのです。それでは、彼らに与えられた神の約束のことばが無に帰したのでしょうか、そんなことはない、とパウロは言います。“神は、ユダヤ人だから救われると言われたのでなく、約束の子が救われると言われたのだ、人が何をしたかどうかではなく、神はご自身が選ばれた者を救われるのだ、救いは人間側の条件によるのでなく神の主権によるのだ”と言うのです。主は、ユダヤ人の血統を引くものではなく、アブラハムの信仰を引き継ぐ、主が選ばれた者を救われます。その愛の御手はユダヤ人でない異邦人にも伸べられました。ユダヤ人でも異邦人でもだれでも、主の救いのみことばを聞き信頼をもって応える者は救われるのです。しかし、信頼関係において主の御前に立つのでなく、対価を払って神の救いに入れようとする取引関係によって神の前に立とうとする者や、神のあり方、行動を第三者的に見ようとする者は、神のやり方に反対し、滅びを招きます。主のみことばを自分にたいする愛の語りかけとして聞いているか、と問われているのを覚えます。
唄野 隆 |