使徒 11章 「私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、・・・。」 (使徒 11:17) エルサレムの教会は力強くイエスさまのことを証しましたが、自分たちの枠を超えてみことばを伝えるところまではいきませんでした。ペテロが、主のお導きと備えによって、ローマ軍の百人隊長コルネリオを訪ね、彼の仲間たちに福音を語ったことを聞くと、ペテロを厳しく非難しました。彼らは、まだ、ユダヤ人だけが主の選民だという考えを超えられなかったのです。それで、ペテロは、コルネリオの招きに応じたいきさつを説明し、それが主の御霊に導かれてのことだということを伝え、彼が福音を語ったとき、そこにいた異邦人たちにも御霊がくだったことを話しました。そして、ヨハネは水でバプテスマを授けたがイエスさまは御霊によってバプテスマを授けると語られたことを思い出させました。エルサレムの信者たちも、ようやく、「神は、いのちに至る悔改めを異邦人にもお与えになったのだ」と納得し、神をほめたたえました。教会に、主が語られた、世界のすべての人々に福音を伝える使命を受け入れさせることは、神さまにとっても大変なことだったのです。私をも自己中心の枠から解き放ち、主の広い世界に導いてください、と祈りました。神さまは、迫害で世界に散らされた信者たちが行く先々で語る証を用いられ、異邦人への宣教を祝福されました。そして、その結果うまれたアンテオケの教会を祝福し、バルナバを用いて、アンテオケの教会とエルサレムの教会を結びつけられました。こうして世界宣教への備えが整えられていったのです。
唄野 隆 |