ヨハネ 18章 「これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。」 (ヨハネ 18:32) イエスさまは、最後の晩餐の席での話しを終えられるとケデロン川の川向こうの園に入られました。そこへ、ユダに先導された兵士と役人が現われ、イエスさまを捕らえようとしました。イエスさまが、「だれを捜すのか。」と聞かれ、「わたしがそれだ。」と言われると、捕らえに来た者たちは恐れて身を引き、地に倒れました。イエスさまは「もしわたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」と言われました。イエスさまを守ろうとして刀を振り回したペテロをいさめ、「父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」と仰って、ご自身を彼らの手に委ね、弟子たちを無事に去らせられました。ペテロは、イエスさまについていきましたが、お前も彼の仲間だったのではないか、と聞かれて、三度も、違う、知らない、と言いました。ローマの総督ピラトはユダヤ人の訴えが、宗教上の問題で、祭司長やユダヤ人たちのねたみからのものだと知って、イエスさまを釈放しようとしました。しかし人の助けはすべて無力でした。ユダヤ人の願いどおりに事は進みました。それは、イエスさまが、御父の御心だと知って、何度も語ってこられたとおりのことでした。イエスさまが、ユダヤ人の指導者たちにより、異邦人の手に渡され、この世の者ならぬ王として死ぬということは、御父の御心であり、イエスさまが選び取られた道だったのです。そのことによって私たちは救われたのだということを、心からの感謝をもってお受けしました。
唄野 隆 |