ヨハネ 9章 「神のわざがこの人に現われるためです。」 (ヨハネ 9:3) この世では、何か悪いことがあると、それは誰かが悪いことをしたからだ、と考える傾向があります。生まれつき目が見えない人を見た弟子たちも、同じように考えました。しかし、イエスさまは違っていました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」と言われました。不幸をも、神の栄光を拝するチャンスだと受け止め、神の御心を求めて、彼を癒されたのです。私たちも、このような見方を身につけたいものです。しかし、人は自分たちの常識で判断し、その考えを絶対的なものと思い、それでとらえきれないことは、事実であっても、否定します。この閉じられた頑なさこそ、神の恵みを退ける大きな罪です。しかも、自分では正しいと思っているからよけいやっかいです。ユダヤ人たちは、なんども、この盲人は生まれつき目が見えなかったがイエスさまによって、癒され、見えるようになった、と聞かされても、イエスさまが安息日に癒されたからと言って、その癒しを認めませんでした。そういう反応に囲まれながら、目が見えなかったのに癒された人は、自分が実際に経験した事実をしっかり固持しました。宗教的な教えや世間の常識ではなく、自分の経験した事実を見つめたのです。イエスさまの癒しの御業を経験したときはまだ目が見えませんでしたからイエスさまを知りませんでした。しかしその人にイエスさまが近づいて、ご自分が救い主であることを示されました。神さまから受けた恵みをしっかり見つめるとき、主ご自身がご自身を現わしてくださいます。
唄野 隆 |