ヨハネ 8章 「わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたし一人残されることはありません。わたしがいつも、そのみこころにかなうことをおこなうからです。」 (ヨハネ 8:29) イエスさまが朝早く宮に入って教え始められたとき、律法学者とパリサイ人たちが、姦淫の現場で捉えられた一人の女を連れてきて、イエスさまの前に置き、モーセはこういう女は石打ちにせよと命じているが、あなたはどうするか、と問いかけました。姦淫の罪を悲しんだのでも、彼女を憐れんだのでもありません。イエスさまを告発する口実を得るために彼女を利用したのです。イエスさまは、黙って彼女の傍らにすわり、立ち上がって、「罪のない者が最初に石を投げなさい。」と言われました。イエスさまに敵意を燃やし、姦淫の女を道具にする姿勢から、神さまの前で自分自身を見るように導かれたのです。そのとき、人々は、自分の罪に気づかされ、一人去り二人去りして、だれも残りませんでした。残された女はイエスさまと向き合い、イエスさまの罪の赦しの宣言と、今後は罪をおかさないようにとの戒めを聞きました。まっすぐイエスさまと向きあうなら、罪の赦しを受け、神さまとの交わりに入れられるのです。イエスさまと神さまとは一つだからです。ユダヤ人たちは、直面すれば変革を求められるイエスさまご自身と向きあうことを避け、自分たちの立場を守るために、律法や言い伝えなどに目を向け、自分たちはアブラハムの子孫だと民族的誇りを言い立て、神さまが父だと言い張りましたが、イエスさまにも、神さまにも真正面から向きあっていません。そこに救いはありません。
唄野 隆 |