ヨハネ 7章 「だれでも神の御心を行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、私自身が語っているのかがわかります。」 (ヨハネ 7:17) イエスさまがガリラヤで伝道活動を続けておられたとき、仮庵の祭りが近づいてきました。イエスさまの兄弟たちは、祭りに上って、自分を世に現したらよかろう、とイエスさまに言いました。イエスさまは、まだわたしの時は来ていないから、行かない、と答えました。しかし、兄弟たちが出かけた後、御父のみことばがあったのでしょう、祭りの途中から、ひそかに出かけられました。人々は、イエスさまについて、よい人だとか、悪い人だとか、いろいろなうわさをしていましたが、ユダヤ人を恐れて、公然とイエスさまのことを語ることはありませんでした。イエスさまがどういう人であるかは、今も、多くの人々が論じたてますが、それだけでは何も変わりません。イエスさまは私たちの理解力を超えたお方です。聞いたり、考えたりしてもわかる御方ではありません。しかし、イエスさまのおことばを実行し、それによって生きようとすれば、イエスさまのことがわかります。イエスさまが、私たちを罪から贖いだし、神の子としてくださることを体験的に知ることができます。イエスさまの語られる神の御心を実行しようとするとき、自分の実態がわかってきます。どれほど自分が神に敵対する罪人であるかがわかります。そして、同時に、そういう私を救うために御子を与えくださる主の愛、ご自分を捨てて私の贖いとなってくださったイエスさまの愛がわかります。そのイエスさまを信じる信仰が与えられ、心の奥底から永遠のいのちがあふれてくるのです。
唄野 隆 |