2018年3月14日(水曜日)
堺大浜キリスト教会聖書一日一章
詩篇 150篇
「息のある者はみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。」
(詩篇 150:6)
はじめから終りまで“神をほめたたえよ”と叫び続ける賛美への招きです。「神の聖所」は地上で人々が神を礼拝するところ、「御力の大空」は天上で天使たちが神をほめたたえるところ、天でも地でも、神の創造されたすべてのところで賛美せよという呼びかけです。絶えず神を賛美している天上の天使たちにまで賛美を呼びかけるのは僭越なようですが、それほどこの詩人は神にたいする賛美の思いで満たされていたのでしょう。これほどの賛美への思いで満たされる人生を送りたいものです。詩人は、このように賛美を呼びかけましたが、それは、神の「大能のみわざのゆえ」、「そのすぐれた偉大さのゆえ」でした。自分の病が癒されたとか、家族が救われたからというような自分とのかかわりだけの小さな世界の喜びでなく、神の大能、神の偉大さをそのまま賛美したのです。私たちは、自分とのかかわりの中でしか感謝したり賛美したりできませんが、この詩人はただ神の偉大さのゆえに賛美しているのです。神だけを見、神ご自身を喜び、神ご自身だけのゆえに神を賛美しているのです。私もこのような純粋な賛美をささげたいものだと思いました。その賛美に、詩人は、私たちの用いることのできるすべてのものを動員するように求めました。角笛を、琴を、タンバリンを、シンバルを、賛美に用いることのできるあらゆる物を用いて主を賛美せよ、「息のあるものはみな、主をほめたたえよ。」と叫びました。今まで賛美してきた偉大な神が私の主なのだと喜び告白して、主を賛美したのです。私もその賛美に加わります。
唄野隆
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