今日の聖書一日一章からのメッセージです
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 伝道者の書 3章 「また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見出すこともまた神の賜物であることを。」 (伝道者の書 3:14) 「天の下では、何ごとにも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。・・・」人の営みには、こちらの願いや予想に関わりなく時がくると起こること、どんなに努力しても時が来なければそうならないことが満ち満ちています。伝道者は 、“人は、どんなに労苦しても、自分の思うように、自分の願うような結果を得ることができるわけではない、自分の思いや願いの実現を目指す努力は無益だ、彼は結局は獣と同じように、死ぬのだ”と言いました。しかし、彼は、その知識によって絶望したわけではありません。むしろ、自分の願いや望みから解放され、自由になった目で見直してみると、“世界は神の御支配の下で動いている、素晴らしく運営されている”ということが見えてきたのです。それに気づいて、彼は、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」と叫びました。そして、そのことに目を向け、思い巡らそうとしている自分のたましいの動きに気づき、「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」と告白しました。そして、「人は、神のなさるみわざを初めから終りまで見きわめることができない。」と認めつつも、神の御業が本当にわかる時を待ち望みつつ、今は、いま与えられる生活を神からの贈り物として喜び楽しむのが良い、と言いました。そのような思いも、また、実は、神の賜物なのです。私も、主の御支配を信頼し、今、与えられている歩みを喜び、励みます。と祈りました。 唄野隆 |