今日の聖書一日一章からのメッセージです



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                        詩篇 42

「わがたましいよ。なぜお前は絶望しているのか。・・・神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い。私の神を。」
                  (詩篇 42:11)

 詩人は「鹿が谷川の水を慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」と歌いだしました。主からの祝福に満たされていたからではありません。彼は、主から切り離され、人々から嘲けられ、見捨てられた者の苦しみの中にいました。その中で彼は昔、敬虔な仲間たちと共にエルサレム神殿に向かった都のぼりの喜びを思い出し、主の御前に心を注ぎ出して祈りました。苦しみのなか、かつて経験した主の恵みを思い返して、落ち込んでいた心に慰めを得、なえた思いに励ましを覚えることがあります。しかし、この詩人は、昔の楽しかったときのことを思いかえし、心を注ぎ出して主に祈っても、ち込み絶望するばかりでした。それは、彼が罪を犯し、そのための神のさばきによって今の苦しみがあると感じていたからです。「あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を超えて行きました。」というのは、主のさばきが私の上に重くのしかかっている、という意味です(ヨナ2:3参照)。過去を思い返すことは、神の恵みを思いださせるだけでなく、自分の罪をも思い出させるものです。その罪が処分され、「わたしがそれを思いだすことはない。」(エレミヤ31:34)と主が語ってくださるみことばを聞くまでは、本当の喜びは湧いてきません。その罪の処分がイエスさまの十字架によって与えられています。そのことが本当に分かるまで私もこの詩人と共に私のたましいに語りかけ、自分を励まし、絶望せず、私の主、救いの神を待ち望みます。

      唄野隆



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