今日の聖書一日一章からのメッセージです



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                        詩篇 12

「主は仰せられる。『悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。』」
                   (詩篇 12:5)

詩人は、「主よ。お救いください。」と訴え、「聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。人は互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話します。」と祈りました。彼は、王にへつらい、偽りを並べ立てて、自分を攻撃する人々に囲まれて、不当な苦しみに遭わされていたのでしょう。私たちも、そういう状態に追いこまれ、もはやそこから抜け出ることはできない、という絶望感に追い込まれるようなことがあるかも知れません。しかし、この詩人は、こういう状態の中で、主に訴えました。その祈りの中で、主の御声を聞きました。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」という御声を。そのみことばは純粋で混じりけのない主のみことばでした。なんと言う幸いでしょうか。この主のみことばが彼を生かしました。私も自分の罪を知り、罪との戦いで、どうにもならない自分の罪の深さに絶望し、「もう駄目です。」と主に祈ったとき、主が、「わたしはあきらめない。」と言ってくださったと感じたことがあります。自分には絶望しかないが、主はなおあきらめず救いを全うしてくださる、と知ることは大きな慰めであり励ましでした。主は私たちを救いに定め、贖いを与え、義とし、きよめ、栄光を与えてくださるのです(エペソ1章、ローマ8章)。このことを確信するとき、「あなたが、主よ。彼らをお守りになります。」と告白できるのです。感謝です。

      唄野隆



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