今日の聖書一日一章からのメッセージです



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      ヨブ記 22章

「いや、それはあなたのあくが大きくて、あなたの不義がはてしないからではないか。」
                    (ヨブ記 22:5)

自分は潔白だと主張し、悪人で幸いな人生を送っている者がある、何故か、と問うヨブに、エリファズは腹を立て、いきり立ち、たとえヨブが正しくても、それが神にとって何の喜びであろうか、と言い返しました。神を人から遠く引き離す見方です。しかし、実は、主を信頼して歩むヨブの歩みをサタンに自慢されるほど(1:8,2:3)、主はヨブを近くに見ておられる御方で、その主にたいする信頼ゆえに、ヨブはサタンの試みに遭い苦難を経験することになったのです(1:12,2:6)。しかし、ヨブの災いのあまりの激しさを見て、エリファズは、何とか納得できる答えを見つけないと落ち着けなかったようです。教えられてきた勧善懲悪の教えを拠りどころにして、これだけの苦しみに遭うのはヨブに罪があるからに違いないと考え、ヨブを悔い改めに導びこうと迫りました。しかし、勧善懲悪の教えは、神の主権を認めず、人の善悪が幸不幸を決めるという人間中心の教えです。それは苦しむ人の助けにならず、そこから恐ろしい結果が出てきます。忠告を聞かないヨブにエリファズは腹を立て、だんだん硬化し、“ヨブは兄弟から質を取り、やもめを素手で去らせ、神に何がわかろうかと言った”とでっち上げの罪でヨブを断罪するまでになりました。そして、「さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。」と勧めました。彼の助言は正しいようで、苦しむヨブにとってはまったくの的外れでした。真の救いは人間の教えからではなく、主ご自身にあるのです。

      唄野隆



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