今日の聖書一日一章からのメッセージです


2021年9月30日(木曜日)

堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     イザヤ書 46章

「あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」
          (イザヤ書 46:4)

 前章から続くイザヤの預言です。彼は、主は「わたしが神である。ほかにはいない」と言われる、と語り、主に聞け、と迫ります。しかしきよい主のみことばは罪にまみれた人の耳には受け入れ難いものです。人は、自分の思いどおりに答える偶像を造り、それに頼ろうとします。バビロン人はベルとかネボなどの偶像を造りました。しかしそれは人の作ったもの、いざという時には頼りになりません。世界で最も立派な王国だと言われたバビロンも衰え、敵に攻め込まれて滅びます。そのとき彼らはベルやネボなどの偶像を担いで逃げ出します。しかしそれら偶像は重荷となるだけで何の助けにもなりません。その偶像と対比して、イスラエルの主は生ける神、イスラエルを養い育て、助け守ってくださる御方だ、とイザヤは語ります。主はイスラエルを生み、腕に抱いて育み、背に負って育ててくださいました。そして、彼らが年老いて衰え、白髪になり、一人では立てなくなっても、主が彼らを背負って、救い出す、と言ってくださいます。この主は、全能者です。主の御許にいれば安全です。そして愛に富んだご真実な御方で、主御自身が主の民を背負い、最後まで守ってくださるのです。その主が今、私たちに向かって、「あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す」と言ってくださる御声が聞こえます。なんという幸いでしょうか。「主よ。感謝します。主よ。背負ってください。」と祈りました。
                          唄野隆



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