今日の聖書一日一章からのメッセージです


2021年9月29日(水曜日)

堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     イザヤ書 45章

「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。」
         (イザヤ書 45:22)

 異邦人で主を知らないキュロスに、主が「わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者」と親しく語りかけ、彼に世界を支配させ、イスラエルの捕囚の民を解放させる、それは主が主であり、彼の名を呼ぶ御方であって、イスラエルの神であることをクロスに、そして世界の人々に知らせるためだ、と言われました。自分たちだけが主の民であると自認していたイスラエルにはとても受け入れがたいメッセージでした。ですから彼らは反対しました。それに対して、主は、陶器が陶器師に抗議し、何を作るのか、こんな作品は困る、と文句を言うのはおかしい、まして主のなさり方に抗議を申し立てるのはおこがましい、天地を創造し、世界を造り、その上に人を創造したのは主だ、その主がクロスによってイスラエルの捕囚を解放すると言われるのだ、と仰せになり、天地の創造者が「わたしが主である。ほかにはいない」と宣言されるのだ、とイザヤは語りました。私たちは、神はこう考え、こう行動されるはずだ、と自分の願うように神さまを動かそうとします。しかし、主は主、御自身のお考えで御自分が良いと思われるように行動されます。それが私たちの願いと異なることがあっても不思議ではありません。そのときはなぜかわからなかったことに私たちの思いを超えた素晴らしい摂理が隠されていたことを後になって悟ることがあります。主は「ご自分を隠す神」なのです。このことを覚え、「私は、自分の思い、自分の願いに振り回されず、主を信頼し、主が主であることを認めます」と祈りました。
                          唄野隆



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