今日の聖書一日一章からのメッセージです




2021年9月26日(日曜日)

堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     イザヤ書 42章

「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々さばきを行う。」
          (イザヤ書 42:1)

 「主のしもべ」にたいする主の愛と信頼がひしひしと伝わってくる出だしのみことばです。この主のしもべが誰かはこのときはまだ明らかにされていませんが、今はイエスさまのことだとわかります。彼の上には主の霊が臨み、すべてのものをさばき、彼は叫ばず声を上げないのにすべてが従い、真をもってさばき彼の下で憐れみがあふれ出ます。彼は、民の契約の保障、国々の光となり、見えない者の目をひらき、囚人を解き放たれます。この方を信じるとき、私たちもこの御方の御足のあとをたどる歩みに導かれます。主の御霊をいただき、自己主張せず、穏やかに人々の助けとなる道に導かれるのです。主を信じる者は皆、小キリストとなる召しをいただくのです。主のしもべが来られるとき、「新しいこと」が起こります。そして、全世界は「新しい歌」をもって、主をほめたたえます。しかし、イスラエルはその意味がわからず、主の恵みの御業に気づきませんでした。主は「わたしのしもべほど目の見えない者が、だれかほかにいるだろうか」と嘆かれました。ですから、彼らは「かすめ奪われ、略奪され」る苦しみを通らなければなりませんでした。主の恵みを本当に知るためでした。今日の私たちも同じです。主は恵みの福音を語ってくださっています。しかし、私たちの目はくらまされ耳は閉じています。このままだと懲らしめの苦しみを避けられません。「目も耳も心も開き、主を見上げさせてください」と祈りました。
                          唄野隆



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