今日の聖書一日一章からのメッセージです



2021年9月19日(日曜日)

堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     イザヤ書 35章

「主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びを戴く。」
         (イザヤ書 35:10)

 イザヤ書の第2部、世界のさばきの最後の預言です。「荒野と砂漠は喜び、荒地は喜び躍り、サフランのように花を咲かせる」という賛美で始まります。さばきの締めくくりが救いの喜びの賛美なのです。不思議な思いで読み進むと、「強くあれ。恐れるな。見よ。あなたの神が。復讐が、神の報いがやってくる。神は来て、あなたがたを救われる」という預言のことばが心に響いてきました。私たちは、善であれ、悪であれ、それにふさわしい決着を見ると納得します。悪人が栄えているのを見ると、心が落ち着きません。ですから、「復讐が、神の報いがやって来る」と聞くと、「神さまが復讐というのは?」とその表現に首をかしげながらも、悪人のさばきという決着に納得します。しかし、「あなたがたを救われる」という宣言には、うれしさとともに、不審をおぼえます。イスラエルは不信の民でした。私たちは罪人です。その私たちが救われてよいものか? そのとき、主の救いが来るとき、目の見えない者の目が開かれ、荒野に水が湧き出し、主の御許にいたる大路が開かれ、そこを贖われた者たちが歩む、というみことばが心に迫ってきました。そうです。私たちは罪人です。そのままではさばかれ滅びるべきものです。しかし、主は私たちを贖ってくださったのです。イエスさまが来て、私の罪を背負って十字架につき、私の罪を贖ってくださったのです。ですから、私たちは、自分の正しさによってではなく、主に贖われた者として、主の御許にいたる大路を歩むのです。感謝です。
                          唄野隆



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