今日の聖書一日一章からのメッセージです




2021年9月14日(火曜日)

堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     イザヤ書 30章

「それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。」
         (イザヤ書 30:18)

 この章も「わざわいだ」で始まります。そして「彼らははかりごとをめぐらすが、わたしよらず、同盟を結ぶが、わたしの霊によらず、罪に罪を増し加えるばかりだ」と続きます。アッシリヤの侵攻に対抗し、エジプトと同盟を結ぼうとするユダの指導者たちを責めたのです。ユダは、シリヤとイスラエル連合軍が攻め寄せてきたとき、アッシリヤと同盟を結んでこれに対抗し、アッシリヤがシリヤを滅ぼし、イスラエルを打って、ユダに攻めてくると、今度は、エジプトの力を借りて、アッシリヤに対応しようとしました。イザヤは、自分を守るために謀を巡らして人間の力に頼る生き方でなく、主を信頼して静かにしているように、と勧めました。しかし、彼らは、主にそむき、主の教えを聞こうとせず、主のことばを語る預言者を黙らせようとさえしました。彼らは、自分の気に入る預言だけを聞きたがったのです。私たちにもそういうところがあります。聖書を読むときも、気に入ったところだけ読み、気に入らないところは読みとばそうとします。こんな姿勢が主のさばきを招くのです。主は、不信を責め、反逆者をさばかれます。かし、すぐにも、彼らを救おうと待ち構えていてくださいます。彼らを悔い改めに導き、彼らを支持し、捕囚の痛みを通る者たちの身近にもいて、親しく導いてくださるのです。その主を見て歩むのは、苦しくても、大きな幸いです。私も、主に立ち返り、主を信頼して、静かに主のみことばを聞き、主を待つ道を歩もう、と思い定めます。
                          唄野隆



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