今日の聖書一日一章からのメッセージです
2021年9月12日(日曜日) 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 イザヤ書 28章 「主は彼らに、『ここに憩いがある。疲れた者を憩わせよ。ここに休息がある』と言われたのに、彼らは聞こうとしなかった。」 (イザヤ書 28:12) 28章から33章は、「わざわいだ」で始まる災いの預言です。主に頼らず、人の謀に頼る者にたいするさばきが語られます。この章では、まず、「エフライムの酔いどれ」つまり、シリヤと結んでアッシリヤに対抗しようとしたイスラエルの指導者たちに、ついで、死とよみ、つまりアッシリヤやエジプトと同盟を結んで国の安泰を図ろうとするエルサレムにいるユダの指導者たちに警告を与え、主に頼るように勧めます。しかし彼らは、イザヤの言うことは「ツアウにツアウ、ツアウにツアウ、カウにカウ、カウにカウ、あっちにエゼル、こっちにエゼル」、主のことばだと言うが非現実的な幼児のたわごとだ、と嘲って聞こうとしません。それに対し、イザヤは、、彼らの語ることこそ、死との契約、よみとの同盟で、彼らの同盟は助けにならない、にわか水があふれるように彼らは押し流され、敵に踏みにじられる、と語り、主がシオンに据えられた礎の石、つまり主のみことばのみを頼れ、主は、昔、ダビデがペリシテ人を打ち破ったペラツイムでの大勝利(2サムエル5:20)、ギブオンでのヨシュアの大勝利(ヨシュア10:10)のように、大きな救いをもたらされる、農夫が畑を耕すのは、収穫を得てパンをつくりそれを食べて楽しむためだ、そのように主のこらしめは滅ぼすためでなく主の民の回復と救いのためだ、と語りました。主は私たちにも、主を信頼し主の救いを体験する者であれ、と語ってくださいます。主のみことばを聞くことの大切さを思います。 唄野隆 |