今日の聖書一日一章からのメッセージです


2021年9月8日(水曜日)

堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     イザヤ書 24章

「地の果てから、私たちは、・・・ほめ歌を聞く。しかし、私は言った。『私はだめだ。だめだ。ああ、悲しい。』・・・。」
         (イザヤ書 24:16)

 イザヤは、まずイスラエルとユダのさばきを告げ(1−12章)、続いてイスラエルとユダを取り巻く諸国のさばきを宣告し(13−23章)、24章から35章にかけて、全世界へのさばきを告げます。24章は「見よ。主は地を荒れ果てさせ、その面をくつがえして、住民を散らされる」というさばきの宣告で始まります。さばきによって、祭司と民、奴隷と主人、貸し手と借り手の区別がなくなるまでに社会秩序は崩壊し、地は荒れ廃(すた)り、人口は急減します。彼らが主の律法を変え、とこしえの定めを変えたからです。しかし「わずかな者だけが残され」ます。主の憐れみです。人々の歓楽は去り、町々は荒廃します。そのとき、地の果てから、主をほめたたえる賛美の声が聞こえてきます。傲慢で暴虐な世の権力者がさばかれ、滅びるのは、主の正義の現われです。賛美の声が上がるのは不思議ではありません。しかし、その声を聞いたイザヤは、「私はだめだ。・・・なんと私は不幸なことか。裏切り者が裏切った。裏切り者が裏切り、裏切った」と叫びました。裏切りの精神が自分たちを捕らえていることを知っていたからです。さばきは免れません。しかし、その罪の自覚が大事なのだ、と私には響いてきました。世のさばきを聞き、主の救いの完成を聞いて、自分の罪に気づき、主に立ち返り、罪を告白し、主に頼る者が、救われ、主の恵みを知り、「万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前にある」ことを心から喜べるのです。
                          唄野隆



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