今日の聖書一日一章からのメッセージです



2021年9月1日(水曜日)

堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                     イザヤ書 17章

「その日、人は自分を造った方に目を留め、その目はイスラエルの聖なる方を見る。」
          (イザヤ書 17:7)

 ダマスコ滅亡の預言です。当時、凶暴なアッシリヤが勃興してきて国際社会の脅威となっていました。アラムとイスラエルは同盟を結んでアッシリヤに対抗しようとし、ユダをも反アッシリヤ同盟に引きずり込もうとしました。イザヤは、ユダの王アハズに、主を信頼して落ち着いていなさい、と勧めましたが、アハズはアッシリヤにすがって、アラムとイスラエルの圧力から逃れようとしました。イザヤは、主を恐れ主に従わなければならない、と語り、主を恐れず主に従わない国々のさばきを宣告しました。「エフライムは要塞を失い、ダマスコは王国を失う。」エフライムはイスラエル、ダマスコはアラムの首都、アラムとイスラエルはアッシリヤによって滅ぼされるというのです。しかし、そのアッシリヤもまた打たれます。アッシリヤの大軍は騒ぎ立つ大水のように、ユダにも侵入します。「ああ、多くの国々の民のざわめき、彼らは、海のざわめきのようにざわめく・・・」と描かれているように。しかしそのアッシリヤの大軍も、しかりつけられ、遠くへ逃げます。ユダに攻め込んだアッシリヤの大軍は一夜にして18万5千の遺体を残して退きました(2列王19:35)。主のさばきの下、残された者たちは、それまで頼みとしていた偶像を捨て、主を見上げるようになる、とイザヤは語ります。主のさばきは厳しく痛いものですが、それはまた主に立ち返る道を拓くものでもあります。主に打たれたときすなおに主の御手に身を委ね悔い改めて主に立ち返る者としてください、と祈ります。
                          唄野隆



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