聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「『主はよいことも、悪いこともしない。』と心の中で言っている者どもを罰する。」 (ゼパニヤ1:12) 今日からゼパニヤ書です。1章の1節の冒頭に書かれている通り、ゼパニヤは南ユダ王国の末期に近い、ヨシヤ王の時代の預言者でした。ゼパニヤの4代前、ひいひいおじいさんは、ヒゼキヤという名前であったということが言われていますが、これがかつて南ユダの王様であったヒゼキヤ王のことであるのかどうか、はっきりしたことはわかりません。 ゼパニヤの時代の南ユダの王ヨシヤは信仰復興のために力を尽くした王様でした。それまでは、イスラエルの人々は偶像礼拝やそれに伴う不道徳な行いに走り、エルサレム神殿での礼拝もなおざりにされていました。ヨシヤ王は国中の偶像を破壊し、エルサレム神殿での礼拝を復興しようとしました。しかし、どうやらこのヨシヤ王の熱心な信仰復興運動も表面的なものに終わり、人々は裏では相変わらず偶像礼拝にふけり、その実際の生活は神様の御心に沿ったものとは程遠いものであったようです。 ゼパニヤの預言はそういう時代のものであったわけです。 12節では、よいぶどう酒を作る時には、浮かび上がって来るかすを取り除きながら、器から器に移すことを繰り返すことが譬えとして引き合いに出されています。その際、浮かんできたかすをそのままにしておくと、ぶどう酒全体が駄目になってしまうそうですが、神様を本気で信じていない一部の人達が全体を損なうこと、そういう人達を神様は見つけだして裁かれるということがここでは言われているわけです。 私たちはともすれば自分一人くらいという風に思ってしまいがちですが、決してそうではないのです。私たちが本気で神様を信じ、神様に従い抜くかどうかは、家族、教会など回りの多くの人々に影響を与えずにはおかないものなのです。心して主に従い抜こうではありませんか。 中谷建晴 |