聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「わたしが、もう、この地の住民を惜しまないからだ。」 (ゼカリヤ11:6) 今日のゼカリヤ書11章では、救い主、キリスト、を拒んだイスラエルの民が、神様の裁きを受けて、滅ぼされることが預言されています。 1節から6節では、イスラエルとその周辺の国々の滅亡が預言されています。4節から6節では、神の民であるイスラエルの民を神様が見捨てられることが象徴的な表現で語られているようです。 7節以降では、なぜそんなことになるのか、ということが説明されています。 7節では、神様からの命令で、ゼカリヤ自身が救い主、キリスト、を象徴する姿を取ったことが記されているようです。 8節の消し去られてしまった「3人の牧者」とは、イスラエルの民の指導者であるはずの、祭司、預言者、王を象徴しているようです。彼らが民を指導するどころか、民を罪にひきずりこんだがために指導者としての立場から追われることがここでは預言されているようです。 8節の後半では、イスラエルの人々が救い主、キリスト、を拒否するようになることが預言されているようです。 9節から14節では、救い主もまた、イスラエルの人々を見捨てられることが象徴的に預言されています。12節の「賃金を支払うように」、という要求は関係を清算し、終わりにすることを象徴的に物語っているようです。13節の「尊い価」というのは報酬の安さを皮肉った表現のようです。 9節で預言されていた通りのことが、紀元70年、ローマ軍によってエルサレムが攻め滅ぼされる時に起こります。そのように、キリストを拒む者は、やがて、神様の恵みを一切取り去られ、滅びることになるのです。そうではなく、キリストを心に受け入れ、その慈愛に富んだ祝福に与かる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |