聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「『食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。』」 (ゼカリヤ7:6)

今日のゼカリヤ書7章と明日の8章は、断食について、神様がゼカリヤを通して語られたお言葉です。
1節からは、この預言が紀元前518年12月7日、ゼカリヤが8つの幻を見てから2年弱たった時に与えられたものであることがわかります。
2節から3節で、ベテルに住んでいる人達が、バビロンで習慣となっていた断食をパレスチナに帰って来た今も続けるべきかどうかということを尋ねるためにエルサレムにやって来たということが記されています。第5の月の断食とは、エルサレム神殿が燃やされてしまった日を覚えての断食、5節に出て来る第7の月の断食とは、エルサレム滅亡後、バビロンによって任命された総督ゲダルヤが暗殺された日を覚えての断食でした。その他にも、バビロン捕囚を機会に第4の月、第10の月にも断食がされるようになっていましたが、いずれもバビロン捕囚という事件の中でも、特に悲劇的な日を記念したものでした。ですから、バビロン捕囚から解放された今、なおその断食を続けるべきなのか、という疑問をある人達は抱いたようです。
5節以降に見られるように、これに対する神様からのお言葉は大変厳しいものでした。5節から6節で、神様は、バビロンでユダヤ人たちがそのような断食を守っていたのは、自分たちの境遇を嘆くためだけだったのではないか、と指摘しておられます。そして、9節以降では、悔い改めの印としてでなければ、どんなに熱心に断食しても意味がないということを語られるわけです。
私たちも、祈っていると言いながら、自分を被害者の立場に置き、自分の境遇を嘆いているだけになってしまっているようなことはないでしょうか。そうではなくて、自分自身の罪を認め、それを嘆き、悔い改め、その罪が赦されていることを感謝する所から始める、本当の意味での祈りを捧げさせていただきましょう。

中谷建晴




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