聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      ゼカリヤ書 7章

「この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか。」
                     (ゼカリヤ書 7:5)

エルサレムが回復される、と預言されていた70年が経ち、バビロン捕囚の民が帰国し、エルサレムの宮の再建も軌道に乗っている今、エルサレム回復ために断食するのはもう止めにしてもよいか、という問いあわせがありました。彼等は断食について、「私が長年やってきた」と誇らかに言っていますし、「断食をして泣かなければならないか」と断食を苦痛と見、そんな嫌なことを70年もの長い間、辛抱してやってやってきたのだ、と自分の払った犠牲の大きさを主張しています。彼らは、主のために、自分が大きな犠牲をはらって断食してきたが、もう十分なのではないか、と言っているのです。それにたいして、主は、預言者ゼカリヤを通して、彼らの断食は主のための断食であったのか、彼等の飲み食いは彼らのため、断食も彼ら自身のためではなかったか、と問い返されました。そして、続けて、“主は、そんな自己主張による断食という宗教行事よりも、互いに誠実を尽くし、あわれみあい、やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者など弱い者たちをしいたげず、互いに心の中で悪を企まない生活を求められる、主はそのことを預言者たちを通して何度も語りかけられたのに、彼等は聞かず、頑なに自己主張を続けた、それだから、彼等は、譲りの地から追い払われたのだ”と語られました。人の罪は根深く、宗教的敬虔さを装いながらも自己主張を続けるのです。「主よ。私の頑なな自我を砕いて、真の悔い改めに導いてください。」と祈りました。

                           唄野隆



Copyright© Sakai Ohama Christ Church All rights reserved.