聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」 (ミカ6:8) 今日のミカ書6章では、裁判の形式をとりながら、イスラエルの民の罪が明らかにされ、それと共に神の民の歩むべき道が示されています。 1節から2節は、この章の導入部で、神様が裁判の席での議論になぞらえて、イスラエルの民の罪を明らかにしようとしておられることがわかります。 3節はイスラエルの人々の神様に対する態度がいかに不当な、不合理なものであるかを、疑問文を用いることで殊更に強調して語ったものです。 4節から5節では、かつてエジプトの地で奴隷であったイスラエルの民を神様がモーセ、アロン、ミリヤムという優れた指導者の働きを通して救い出されたことを、また数々の困難や妨げを神様が打ち破って下さって、イスラエルの民がパレスチナの地に住み着くことができるようにして下さったその歴史を思い起こすようにと呼びかけられています。そうして歴史を振り返る時に、神様が一方的にイスラエルの民を救い出し、守り、力づけ、祝福して下さっていることは明らかであるのに、彼らはその主を離れ、主にそむく者となったわけです。これは感謝を忘れた、不当な態度です。しかし、私たちも、神様がどんな所から自分を救い出して下さり、今日まで導いて下さったかを忘れ、神様に対する感謝を忘れてしまっているという全く同じことをしてはいないでしょうか。 6節から8節はミカ自身の言葉のようですが、8節にある通り、主が求めておられるのは、主の前にへりくだって、主と共に日々歩むことなのです。にもかかわらず、あれをしてから、これをしてから、と自分で勝手に条件を考え出し、それが出来ていないから主と共に歩むことを始めることを先延ばしにしてしまっているようなことはないでしょうか。それは順番が逆です。主と共に歩み始める時に、私たちの歩みは整えられ、自分の力ではどうしようもできなかったことができるようになって行くのです。今、この時、主と共に歩む歩みへと一歩を踏み出し、主の御力と祝福に与かる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |