聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「あなたがたは公義を忌みきらい」 (ミカ3:9) 今日のミカ書3章では、イスラエルの指導者たちの罪が指摘され、その罪のために神様の裁きが下ろうとしていることが預言されています。 2節から3節の表現は、イスラエルの指導者たちが、神様から期待されている正義と公平と憐れみを実現するどころではなく、むしろ逆に不当に人々を虐げていること、しかも、残酷なやり方で、自分たちが利益をむさぼっていることを表しているようです。 4節では、そういう御心に反することをしている者たちも困った時には、神様に向かって祈り、叫ぶけれども、そういう者たちの祈りには、神様はお応えにならない、ということが言われています。これはある意味で当然のように思われますが、しかしもし、私たちが、この人が相手なら自分に不利益が及ぶことがないからということで、相手を選んで、自分の都合を押し付けたり、自分の感情をぶつけるようなことをしているとするならば、当時のイスラエルの指導者たちと同じようなことをしていることになるのではないでしょうか。 5節では預言者たちが自分に利益をもたらす相手には、相手を喜ばせるようなことを言い、そうでない者にはひどいことを言う、ということが指摘されています。そして、続く6節から7節では、そういう預言者は結局、大変な目に会うということが言われています。7節の後半の「口ひげをおおう」とは当時の深い悲しみを表現するしぐさだったようです。 9節の3行目の「公義を忌みきらう」 という時の「忌みきらう」という言葉は、元のヘブル語では、「呪わしいほどいやだと思う」というようなニュアンスのある言葉です。イスラエルの指導者たちにとって正義や公平といったものは、そういうものであったわけです。しかし、私たちも、何が正しいか、どうすることが正当なのかを考えようとせず、とにかく自分の感情を押し通そうとしているようなことはないでしょうか。だとするならば、イスラエルの指導者たちがそうであったように、そこに待っているのは、決定的な破滅です。悔い改めて、自分の感情、自分の思いではなく、主の教え、主の導きを第一として生きる者、そうして主からの祝福に与かる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |