聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「主の大いなる恐ろしい日が来る前に、」 (マラキ4:5)

今日のマラキ書4章では、やがて世の終わりの時に、恐ろしい裁きの時が来ることが預言され、悔い改めて主に立ち返ることが命じられています。
1節では、世の終わりの時の裁きが徹底した、容赦のないものであることが比喩的な表現を用いて預言されています。「わら」は簡単に燃えてしまうものを象徴し、神様の裁きが抵抗しようのない、徹底したものであることを表現しているようです。
2節から3節では、主を信じ、主を恐れる者にとっては、そのような裁きの時がむしろ祝福が完成する時である、ということが預言されています。「義の太陽」は救い主、キリスト、ご自身のことを指し、それが上るとは、主を恐れる者たちが祝福を一杯に浴びるようになることを象徴的に語っているようです。
 4節から6節は、マラキ書全体の後書きに当たる部分のようです。

4節では、神様を恐れ、モーセの律法にのっとって生きることこそがその世の終わりの時に、裁きではなく祝福に与かるカギであることが語られ、5節から6節では悔い改めて主に立ち返るように、ということが言われています。
5節の預言者エリヤとは、具体的にはバプテスマのヨハネのことを指すようです。
主を信じる者も、信じない者も、今現在だけを比べて見るならば、何の違いもないように見えたり、むしろ逆に主を信じない者の方がよい人生を送っているように見えてしまうこともあるかもしれません。しかし、やがて、裁きの時には、主を信じる者が与かる祝福と、そうでない者が受ける裁きは決定的な違いとなって来るのです。やがて来るその日を恐れて、その日が来る前に、悔い改めて主を信じ、そうして最後まで主を信じ抜き、その最後の日に、裁きではなく祝福に与かる者とならせていただこうではありませんか。





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