聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「あなたがたは、わたしの祭壇の上に汚れたパンをささげて、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか。』と言う。」(マラキ1:7) 今日からマラキ書です。マラキ書がいつごろ書かれたものか、はっきりしたことは書かれていませんが、ユダヤ教の伝統では、ハガイ書やゼカリヤ書と共に、バビロン捕囚後のものとされていますし、内容からもバビロン捕囚からユダヤ人たちがパレスチナに帰って来た後のもので、他のいろいろなことを考え合わせて、おそらくは紀元前434年に書かれたものではないか、と考えられています。 バビロンからパレスチナに戻って来たユダヤ人たちは、当初の目的であったエルサレム神殿の再建と民族としてのある程度の独立を果たしました。しかし、それらの当面の目的を達成した後、ユダヤ人たちは当初の信仰の熱心さを失ってしまっていたようです。そういうユダヤ人たちに対して、信仰、特に神様の教えである律法に忠実であることを励まそうとしているのがマラキ書という書物であるようです。 今日の1章では、前半の5節までで、神様が何の取り柄もないイスラエルの民を選んで下さったことが語られ、6節以降ではにもかかわらず、イスラエルの民が神様を畏れ敬うことがない、ということが指摘されています。 6節以降では、口先では神様を敬っていると言いながら、ユダヤ人たちが相応しくない捧げ物をしていることが厳しく咎められています。神様を敬うということは具体的な生活の中で神様を第一とすることなのです。私たちは礼拝出席、奉仕、献金などにおいて、自分の都合ではなくて、神様に忠実であることを第一としているでしょうか。祝福はそこから始まるのです。もう一度自らの在り方を顧みさせていただきましょう。 中谷建晴 |