聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「見よ。わたしがユダとエルサレムの捕われ人を返す、その日、その時、」
(ヨエル3:1)

今日のヨエル書3章では、やがて神様がイスラエルの民を虐げた者たちを裁き、滅ぼされることと、その時、イスラエルが回復されることが預言されています。
2節の「ヨシャパテの谷」という表現は単なる語呂合わせであろうと考えられます。ヘブル語で「裁く」ということを意味する言葉は「シャファット」という言葉で、ヨシャパテという名前はその「シャファット」という言葉から来ていて、「神は裁かれた」という意味のある名前です。しかも、日本語の訳とは違って、ヘブル語の原文では、ヨシャパテという言葉にすぐ続いて「さばく」というその「シャファット」という言葉が出て来ています。
9節から15節では、やがてもたらされる全世界的な神様の裁きの時のことが預言されているようです。そして16節以降では、その後で、イスラエルの民が受ける祝福の豊かさと、彼らの敵であった者たちが受ける裁きが徹底したものであることがコントラストをなす形で語られています。エジプトやエドムはイスラエルの民に敵対する国を代表するものとして名前が挙げられているようです。
2節から8節でも言われていたように、19節でも、それらの周りの国々は、神の民であるイスラエルにした残虐な行いに応じて、残虐な裁きを受けることが預言されています。神様はそれらの国々を用いて、イスラエルの民を懲らしめられましたが、それらの国々の残虐さそのものは不当なものとしてやがて裁かれるべきものであったわけです。
私たちも人から不当な、そして残酷な仕打ちを受けることがあるかもしれませんが、裁きは神様の御手の内にあるのです。ですから、その相手のことは神様にお委ねしてしまい、ただ、そのことも神様が許された、自分にとって何らかの意味のあるものであることを覚え、神様だけを見上げて、悔い改めるべきことがあれば悔い改め、あるいは新約聖書ヘブル人への手紙12章5節から7節で言われているように、訓練と思って耐え忍び、同じヘブル人への手紙12章11節で約束されている「平安な義の実」を結ぶ者とならせていただきましょう。

中谷建晴



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