聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「ああ、その日よ。主の日は近い。全能者からの破壊のように、その日が来る。」 (ヨエル1:15) 今日からヨエル書です。ヨエルは、紀元前8世紀前半に活躍した南ユダ王国の預言者で、北王国のホセアとほぼ同時代の預言者である、ということになります。この時代、北イスラエル王国がヤロブアム2世の下で繁栄を極めていたのと同じ様に、南ユダ王国もウジヤという王様の下で繁栄を極めていました。当時の南北両王国の繁栄はソロモン王時代にならぶほどのものだったようです。 今日の1章の5節で示唆されているように、そういう繁栄の中で、南ユダ王国の人々も主を恐れることを忘れ、堕落と腐敗が日常生活の中に入り込んで来つつあったようです。南ユダ王国はその都エルサレムの神殿での礼拝を守り続けていましたが、しかし、その礼拝も形式だけのものに成り下がりつつあったようです。 そういう中にあって、4節で言われているような、大変ないなごの大群が南ユダを襲い、10節から12節などで言われているように、国中の作物が食べ尽くされてしまう、という出来事が起こりました。今日でも、中東やアフリカではいなごによるこういう災害が大飢饉を引き起こすというようなことがあるそうですが、それに近い事態が南ユダ王国に降りかかってきたようです。 作物が取れないこと、そのために神殿の礼拝で捧げ物が出来ないこと、は南ユダの人々にとっては大きな痛手でしたが、繁栄の中で心の鈍くなった彼らには、それ以上の意味をそこに見いだすことはできなかったようです。その南ユダの人々に向かって、これは神様からの警告である、やがて神様の裁きが来る、こう警告した預言者の一人がヨエルであったわけです。 私たちも繁栄の中にあって、恵まれた生活の中にあって、それを当然のように思い、どんなに大きな事件に出くわしても、運が悪かったくらいにしか思っていないというようなことはないでしょうか。 どんなにこの日本の国と私たち自身が罪にまみれた、神様に裁かれるべきものであるかを忘れてしまうことなく、心から主を恐れて生きる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |