聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 ヨエル書 3章 「あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、わたしの聖なる山シオンに住むことを知ろう。」 (ヨエル書 3:17) 「見よ。わたしがユダとエルサレムの捕らわれ人を返す、その日、その時、わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで、彼らをさばく。」と主は言われました。イスラエルに悪をなすものをゆるさず、彼らをひとまとめにして徹底的に滅ぼしつくすと言われるのです。主はイスラエルをご自身の民として大事にし、彼らに悪をなす者はゆるせないのです。彼らを滅ぼすという宣言は、逆にイスラエルにたいする愛を示しています。この主のなさり方は、主を信ぜず、第三者的に、批判的に見れば、偏っているように感じます。しかし主との関係は人格的関係です。人格的な関わりでは、ただ相手にのみ向かい、他の何者でもない、あなたを、あなただけを愛す、という姿勢が両者の交わりを育てるのです。相手を、第三者的に批判的に見るところでは、通りすがりの人とのその場かぎりの関わりはもてても、結婚に至るような深い人格的な愛の交わりは育ちません。主は私たちを、ご自身の大事なものと見てくださり、深い愛の交わりを持ちたいと願っておられるのです。そういうことばとして聞くとき、他の誰でもなく、ただあなただけを愛しているという主のみことばは、感謝と喜びをもたらします。聖書のみことばを、第三者的に批判の目をもって読むのでなく、私たちを何者よりも深く愛してくださる主の愛の語りかけとして聞くことが主との交わりを育ててくれるのです。 唄野隆 |