聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「こうして、ユダはその国から捕え移された。」 (エレミヤ52:27) 今日のエレミヤ書52章は、51章までの内容を補足する歴史的な記述となっています。その内容は第二列王記の24章以下と殆ど同じです。 エレミヤ書の最後にエルサレムがバビロンによって攻め滅ぼされたことが、こうしたまとまった形でわざわざ記録されているのは、エレミヤの預言がその通りに実現したことを改めて確認するためであったと考えられます。神様の御言葉はその通りに成就するのです。エレミヤの言葉を無視し続けたゼデキヤは10節から11節で述べられているように、悲惨な最期を迎えました。自分にとって耳触りのいい言葉しか聞こうとしない態度は、結局、身を滅ぼすものなのです。私たちは神様からのお言葉をそのままに聞こうとしているでしょうか。 13節から23節では、エルサレムが徹底的に破壊されたことが記録されています。神殿や王宮だけではなく、全ての家々が焼き払われ、城壁が全部取り壊されました。また主の宮に置かれていた器がバビロンに奪い去られてしまったことが詳しく記録されていますが、それは27章の16節以下を見ますと、エレミヤの預言通りに事が起こり、エルサレムの全てが失われてしまったことを象徴する出来事だったようです。しかし、27章の22節と照らし合わせますと、この出来事はやがてエルサレムが回復されることを示唆するものということになります。人間的に見れば、悲劇としか思えないような出来事の向こうにも神様は祝福を用意して下さっているのです。 31節以下には、ゼデキヤの前の王様で、約10年前にバビロンに連れて来られていたエホヤキンが釈放され、よい待遇を受けるようになったことが語られています。全く無力な囚われの身で、また不信仰であった彼の身に起こったこの出来事が象徴しているように、神様は顧みるに値しない私たちを顧み、救いに値しない私たちを救って下さったのです。感謝しましょう。 中谷建晴 |