聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「彼らを贖う方は強く、その名は万軍の主。」 (エレミヤ50:34)

今日のエレミヤ書50章と明日の51章では、バビロンに対する裁きが宣告されています。
バビロンはユダを初めとする国々を裁く神様の道具として用いられた国ですが、そのバビロンもまた神様の裁きを免れることはできないのです。どんなに用いられていても、あくまで神様が主であって、人間や人間の組織が神様になりかわって主になることはできないのです。
バビロンが裁かれた理由として、その罪の中でも最も強調されているのは、29節の最後や31節、32節にあるように、高ぶり、高慢の罪です。神様を無視し、自分は自分の思いのままにするんだというような姿勢です。私たち自身はどうでしょうか。
もう一つバビロンの罪として強調されているのは、彼らのイスラエルの民への仕打ちです。3節、11節、17節、33節などではその仕打ちが苛酷なものであったことが示唆されています。また、18節や34節などの復讐という言葉は神様がイスラエルの民への仕打ちに対する復讐として、バビロンを打つことを示しています。
また、神様はイスラエルの民を、裁きのためにバビロンの手に委ねたけれども、なお御自分のものとして、裁きの後、回復させようとしておられることが、さらには、回復の後には裁きに会う前よりも豊かな祝福が待っていることが、示唆されています。4節では、南北に分かれていたイスラエルの民が統一された一つの国として回復されることが、また20節では完全な罪の赦しが示唆されています。私たちも、自分自身の罪のために裁きの中を通らされることがあるかもしれません。しかし、なお神様は神の民である私たちを見放さず、やがて以前以上の祝福に与からせて下さるのです。どんな時でも、その神様を見上げ、その回復の時を待ち望む者とならせていただきましょう。

 中谷建晴



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