聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「私たちは従うわけにはいかない。」 (エレミヤ44:16) 今日のエレミヤ書44章は、記録されている中では最後になるエレミヤのメッセージです。 まず1節で挙げられている地名の最初の3つはエジプト北部、地中海に近い町々を指し、最後のパテロス地方というのは、エジプト南部の内陸地方を指します。これを見ますと、ほんのしばらくの間にユダヤ人がエジプト全土に広がって行ったことがわかります。 そして、2節以下、特に8節などを見ますと、エジプトに避難してきたユダヤ人たちが、なおも偶像礼拝にふけっていることがわかります。エレミヤは彼らに、それがためにユダの国が神様からの裁きとして滅亡させられたことを思い起こさせ、同じように裁きが下ることを預言します。しかし、16節から19節に記されているように、彼らは、南ユダ王国の末期にヨシヤ王による信仰復興運動のために、偶像礼拝をやめさせられたがために国が衰えて行った、と反論し、自分たちはあくまで偶像礼拝をやめない、と言い張ります。 しかし、南ユダ王国が衰えて行ったのは、ヨシヤ以前の王やユダの人々が偶像礼拝にふけっていたことに対する神様の裁きの結果であり、それが明らかになって来たのがヨシヤが王であった時期であったというだけのことでしかありませんでした。時間的な流れと、物事の因果関係は別であるわけですが、彼らは、その2つを同じものと見做し、そうして、神様がはっきり禁じておられる偶像礼拝を正当化しようとしたわけです。 ここでユダヤ人たちがそうしたように、その気になれば、どんなことでも、理由を見つけ出して、正当化してしまうことができるかもしれません。しかし、御心に反する歩みは、いくら上手に正当化してみたところで、やがて破滅へと至るものです。そうではなく、御言葉にその通りに従い、神様からの祝福に与かる者とならせていただこうではありませんか。 中谷建晴 |