聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「だから、私は、きょう、あなたがたに告げたのに」 (エレミヤ42:21) 今日のエレミヤ書42章には、ヨハナンたちがエレミヤに神様の御心がどこにあるのかを尋ねたことと、そのヨハナンたちの求めに応じて、神様がエレミヤを通してお語りになった言葉が記されています。 バビロンから任命された総督ゲダルヤはイシュマエルたちによって暗殺されてしまいました。ヨハナンたちはそのイシュマエルを破り、捕虜とされていた人々を取り返しました。その捕虜の中にエレミヤも含まれていたようです。 バビロンによって任命された総督であるゲダルヤを暗殺するということは、バビロンに対する反逆を意味します。ヨハナンたちは、その反逆を企てたイシュマエルたちを破ったわけですから、むしろ結果としてバビロンよりの行動をとったことになります。しかし、彼らはバビロンが総督の暗殺をユダヤ人全体の反逆とみなして、自分たちも含めたユダヤ人全体をひどい目に会わせるのではないか、と恐れたようです。 彼らは神様の御心を求めるといってエレミヤの所にやって来て、6節では「良くても、悪くても、主の御声に聞き従います。」と約束します。しかし、エレミヤを通しての神様の答えが彼らの意図に反して、エジプトに下らず、今の場所に止まるように、というものであることがわかると彼らは猛烈に反発します。彼らは結局、自分たちが既に決めてしまっていたことに今一つ自信がないので、神様から保証してもらうことだけを願っていたようです。これは御心を求めている、とは言い難い態度である、というより、神様を利用しようとする不遜な態度である、と言えるのではないでしょうか。 しかしながら、私たちも同じようなことをしてしまってはいないでしょうか。そうではなくて、自分の計算、自分の好みを全て捨てて、本気で、神様の御心ならば何にでも従う決心をして、神様の御声を聞き、それに従う者、そうして神様からの祝福に与かる者とならせていただこうではありませんか。 中谷建晴 |