聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会 聖書一日一章 「この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたはしあわせになる。」 (エレミヤ40:9) 今日のエレミヤ書40章から44章にはエルサレム壊滅後の、エレミヤの預言とエレミヤ自身の身にまつわる出来事が記されています。 今日の40章では、まずバビロン軍に捕らわれていたエレミヤが釈放されたことが記され、続いてその当時の政治的な状況が記録されています。 4節でバビロンの王ネブカデネザルの代理人であったネブザルアダンという人物がエレミヤに特別に目をかけて優しくしていることがわかります。こうして見ますと、敵であったバビロンの人々や、またそれ以前では、ユダの国の中に宦官として住んでいたエチオピア人は、エレミヤを認め、大事にした一方、逆に同胞であり、神の民であり、エレミヤの働きの意味を一番よく理解できたはずのユダヤ人たちはエレミヤを不当に迫害し続けた、ということがわかります。私たちも少し距離を置けば大変高く評価し、感謝するべき人を、身近であるがゆえに認めないままになってしまっているというようなことはないでしょうか。ユダヤ人たちがエレミヤを認めなかったことが、彼らの身に破滅をもたらしたことを私たちへの教訓としようではありませんか。 7節以降では、ゲダルヤという人物が占領軍であるバビロンによって、残ったユダヤ人のまとめ役とされたことと、彼がその役割をどんな風に果たしたかということが記録されています。 6節に出てくるミツパという場所は、何のこだわりももたないバビロンの軍隊が、エルサレムに代わって、ユダを支配する根拠地にした場所のようです。10節の後半で、ゲダルヤは農産物の収穫に励むようにと人々に説いていますが、エルサレムが陥落したのは夏でしたから、まだ秋の収穫に間に合う時期であったわけです。9節から10節で、ゲダルヤは、バビロンを恐れず、安心して仕事に励むように人々に語りますが、その中、10節の前半で、彼は自分がバビロンの軍隊と人々の間に立つからと語っています。占領軍との交渉という、時には命の危険もある難しい仕事を自分が引き受けるから目の前の努めに励むようにと彼は人々に言っているわけです。私たちも、イエス様がいつも仲介者として、神様の前に私たちを執り成して下さっていることを覚え、安心して自分の努めに励み、9節の最後で語られているように、祝福に与かる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |