聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「わたしが彼らに告げたあのすべてのわざわいをもたらす。」 (エレミヤ36:31) 今日のエレミヤ書36章では、預言者エレミヤの言葉と行いがなぜこうして書物となって残されているかといういきさつと、それにまつわるエピソードが記録されています。 4節にあるように、エレミヤの預言は、バルクという人物によって書き留められ、6節以降で述べられているように、エルサレム中の人々に向かって朗読されます。1節では、この出来事が起こったのはエホヤキム王の第4年と言われていますが、この年、紀元前605年は、バビロンがカルケミシュの戦いでエジプトを破り、中東世界における支配権を握った年です。また、この年、エルサレムは一旦バビロンの手に落ちています。9節で断食が布告されているのは、おそらくはその国家的な危機の中で神様の助けを求めてのものだったようです。エレミヤは今なら、王も人々も神様の言葉に耳を傾けるだろうという期待をもって、バルクを主の宮に遣わし、神様の言葉を朗読させたわけです。しかし、結果はそういうエレミヤの期待に全く反するものでした。 23節から24節で言われているようにエホヤキム王は、エレミヤの言葉に全く耳を貸そうとしませんでした。さらには、26節で言われているように、エレミヤとバルクをひどい目に会わせようとさえしました。エホヤキム王は国民に断食をし、神様の助けを求めるように命じましたが、それは悔い改めを伴う真の信仰から出たものではなかったのです。そして、そういう形だけの断食や祈りは、熱心で大規模なものであったとしても、エホヤキム自身にも、またユダの国そのものにも何ももたらすことはありませんでした。 神様が求めておられるのは、まず、自分の罪を認め、悔い改めることです。私たちも、あのこと、このことをする前に、神様の前に自分を低くし、へりくだり、そうして、上からの恵みに与かる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |