聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「預言者ハナヌヤはその年の第七の月に死んだ。」 (エレミヤ28:17) 今日のエレミヤ書28章は、昨日の27章の続きです。 南ユダ王国の滅亡を預言したエレミヤの27章での預言に対して、ハナヌヤという預言者が、それとは全く逆のことを預言しました。ハナヌヤは南ユダ王国はバビロンの支配から自由になることができると預言したわけですが、その際、3節にあるように、2年以内とはっきり時間を区切り、さらには10節にあるようにエレミヤが首にしていたかせを砕いてみせました。何より、ハナヌヤの預言の内容は、人々の愛国心に訴えるものであり、人々に幸せな将来を期待させるものであり、さらには、バビロンに対する反逆を計画していたゼデキヤ王たちにとっては耳触りのよいものでした。 しかし、エレミヤは9節で「平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、ほんとうに主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」と語り、どんなによいことを預言したとしても、それが神様からの言葉でないのならば、それが真実な言葉でないのならば、何の意味もない、ということを語るわけです。しかし、ゼデキヤ王もユダの人々もエレミヤの言葉に耳を傾けず、バビロンに対する反逆を企て、結局敗れ、決定的な破滅を招くことになってしまいます。13節の木のかせの代わりに、鉄のかせを作ることになる、というエレミヤの預言は、バビロンの支配を嫌ってバビロンに服従し続けることをやめるために、結局、服従どころではすまない奴隷のような状態にユダの人々が置かれるようになることを預言している言葉です。ハナヌヤは、ユダの人々を惑わせて、破滅へと引きずりこんでしまうわけですが、その責任ゆえに命を取られることになります。 神様を侮る者、神様の名を語りながら自分の思いを語る者に対して神様は厳しいお方です。また、そのような者に従う者も自分の身に裁きを招くことになります。耳触りのよい言葉ではなく、自分にとっては痛くても、自分の思いに反しても、主の言葉をその通りに聞き、それに従う者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |