聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「王は彼を殺そうとしたが、ウリヤはこれを聞いて恐れ、エジプトへ逃げて行った。」(エレミヤ26:21) 今日のエレミヤ書26章では、前半でエレミヤがユダの人々に語った言葉とそれが招いた結果が、後半20節以降でエレミヤと同じ様なことを預言していたウリヤという人がどのような最期を遂げたかということが記されています。 1節では、この預言が語られたのはエホヤキム王の治世の初めだということが言われています。信仰復興運動をリードしたヨシヤ王の後を継いだエホアハズ王は人々を偶像礼拝に引き戻すようなことをしていましたが、わずか3ヶ月でエジプトに連れ去られてしまいました。ユダの人々には、もう一度、信仰に立ち返るチャンスが訪れたわけです。そこで神様はエレミヤを通して、語り、悔い改めへとユダの人々を導こうとされたわけです。しかし、7節から11節で記されているように、人々は悔い改めるどころかエレミヤを殺そうとしました。12節から19節で記されているように、彼らはエレミヤを殺すことは思い止まりましたが、しかし、やはり悔い改めようとはしませんでした。この後も、神様はエレミヤを通して、ユダの人々に語り続けるわけですが、彼らの態度はこの最初の時のままだったわけです。 悔い改めというものは、一旦、そのチャンスを見過ごすならば、もっと難しくなってしまうものなのです。神様から導かれた、その時に悔い改めて、赦しに、救いに、祝福に与る者とならせていただきましょう。 後半の20節以降に出て来るウリヤという人物は、自分の命が危ないとなると逃げ出しましたが、結局、殺されてしまいました。1章8節、17節でエレミヤに神様がおっしゃった通り、人を恐れ、逃げ出すならば、その恐れていた通りのことになってしまうのです。そうではなくて、恐れがあっても、神様を信頼して踏み止まり、守って下さる神様を経験し、神様と共に歩む幸いを経験して行く者とならせていただこうではありませんか。 中谷建晴 |