聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「それでも、あなたがたはわたしに聞き従わなかった。」 (エレミヤ25:7) 今日のエレミヤ書25章は、エルサレムの滅亡から約20年前の紀元前605年に、神様がエレミヤを通して語られた、南ユダ王国とその周りの国々の滅亡を預言した言葉です。紀元前605年はカルケミシュの戦いでエジプトがバビロンに敗れ、中東全域でのバビロンの優位が確立し、南ユダ王国にとっては、バビロンの脅威がいよいよ差し迫ったものになった年です。 3節から8節では、神様が何人もの預言者を通して、何度も何度も語りかけて来られたのに、ユダの人々が悔い改めようとしなかった、その頑なさが指摘されています。そして、8節から10節では、神様の忍耐もここまでで、正に裁きが下されようとしていることが語られています。神様は私たちが悔い改めるのを今まで待ち続けて下さっていますが、それは私たちがいつまでも悔い改めないままでいい、ということを意味していません。 新約聖書ローマ人への手紙2章4節から5節では、こう言われています。「神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。」 今、悔い改め、罪赦され、恵みに与かる者とならせていただきましょう。 15節から29節では、神様の憤りと裁きが杯の中のぶどう酒に譬えられています。19節から25節まで、南から北の順番に神様の裁きを受ける国々の名前が挙げられています。しかし、26節ではバビロンもその例外ではないことが語られています。28節では、神様の裁きを免れることのできる国は一つもないことが言われていますが、同じ様に、神様の裁きを免れることのできる者は一人もいないのです。神様の裁きを恐れ、その裁きから免れさせて下さるイエス様の十字架の下に身を寄せさせていただきましょう。 中谷建晴 |