聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「わたしは、この所からカルデヤ人の地に送ったユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。」 (エレミヤ24:5)

今日のエレミヤ書24章では、捕囚として連れ去られた民が神様のお取り扱いを受けて、祝福に与かる一方、エルサレムに残された人々は徹底的な破滅を経験することが預言されています。
紀元前586年にエルサレムはバビロンによって、最終的に攻め滅ぼされ、廃墟とされてしまいますが、その約10年前、紀元前597年にもエルサレムはバビロンの手に落ち、多くの有能な人々、バビロンにとって役に立ちそうな人々や指導的な立場にあった人々はバビロンに連れ去られてしまいました。その時、エルサレムに残された人々は、自分たちが残されたのは、バビロンに連れ去られた人達よりも、神様に認めてもらっているからだ、自分たちこそが祝福に与かっているんだ、と考えていたようですが、このエレミヤ書24章では、事実は全く逆である、ということが言われているわけです。
私たちも目の前の結果だけを見て、自分は祝福されていると傲慢になったり、自分は祝福されていない、とがっかりしたりしがちな者ですが、神様のご計画は人の目に見える所だけで判断できるものではないことをしっかりと心に留めましょう。
4節から7節では、捕囚として連れ去られた民が、むしろ神様の民とされ、パレスチナの地に戻って、しっかりとした国を建てることが預言されています。しかし、同時にそれは、神様が一方的に恵みとして彼らに目を留め、祝福し、彼らを作り変えて下さるからこそである、ということが言われています。私たちが救いに与かり、神様を喜び、喜んで神様に従おうという思いが与えられ、祝福に与かる者とされるのも、神様が一方的に私たちを選び、御霊を注いで、私たちの上に御業をなして下さっているからなのです。ただただ主に感謝しましょう。

中谷建晴



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