聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない。』と言った。」 (エレミヤ22:21) 今日のエレミヤ書22章は、時間的にはずっと前になるエホヤキム王の時代にされた預言である、と考えられます。エホヤキム王は、信仰の篤い父ヨシヤ王の実質的な後継者でしたが、ヨシヤとは違い不信仰に走り、エホヤキム王以降ユダの国は破滅へ向かって突き進むことになります。 11節の「ユダの王シャルム」は、そのエホヤキム王の兄弟でエホヤキムが王となる前、3カ月間だけ王であった人物です。また、24節以降で名前の出てくるエコニヤは別名をエホヤキンという、エホヤキムの子供です。彼の後、もう一代でユダは滅亡することになるわけです。 しかし、エホヤキム王の時代には、まだユダには可能性があったようです。エレミヤは大胆にも王宮に乗り込んで、神様からの言葉をエホヤキム王に伝えました。しかも、13節から14節では、エホヤキム王本人の罪を指摘しています。15節を見ますと、エホヤキムは自分の父ヨシヤも贅沢なことをしていた、ということを盾に自分の贅沢を肯定しようとしたようです。しかし、ヨシヤは結果として与えられた祝福を喜び楽しんでいただけであって、贅沢そのものを目的とし、不正をするようなことはしていませんでした。にもかかわらず、エホヤキムは、御心に従い、与えられた恵みは感謝して受け取るという父ヨシヤの基本的な姿勢ではなく、結果として与えられていた目に見えるものにばかり目を向け、全く逆の生き方をし、18節から19節で預言されているように、裁きを受け、屈辱的な形で死を迎えることになるわけです。 私たちはそうではなく、祝福された信仰の先輩を見習う時に、暮らしぶりというような目に見えるものに心を奪われるのでなく、その基本的な姿勢をこそ学ばせていただき、神様の御心に従い、たとえ形や量は違っても、本質においては同じ主の恵み、同じ喜びに与かる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |