聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「しかし、主は私とともにあって、横暴な勇士のようです。」
(エレミヤ20:11)

今日のエレミヤ書20章では、エレミヤがその預言者としての忠実な働きのゆえに逮捕されたことと、エレミヤがそういう経験から、預言者として召されたことを悔い、嘆いて神様に向かって叫んだ言葉とが記されています。
エレミヤを逮捕したパシュフルという人物の名前には、「安易」とか「平穏」というような意味があったようです。3節では、彼がエレミヤを通して、神様から「恐れが回りにある」という名前をつけられることになったことが語られていますが、このことは、祭司でありながら、偽預言者であったパシュフルが安易な救い、何の根拠もない平安を語っていたことを象徴的に語っています。イエス様はマタイの福音書7章13節で「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。」とおっしゃっています。安易な救いを語る者は偽預言者であり、今日のエレミヤ書20章の4節で述べられている通り、本人を、またその言葉を信じた者をも滅びに至らせてしまうものなのです。偽預言者にかどわかされないように心しましょう。
7節以降はエレミヤが神様に向かって上げた嘆きの声です。しかし、11節から13節を見ますと、エレミヤが決して信仰を失ったわけではないこと、がわかります。すなわち、エレミヤは自分の苦しさをそのまま正直に神様に訴えている、それほどに神様と近しい関係にあったということのようです。そして、このエレミヤの嘆きは、神様に従うことが決して安易なことではないことを証ししている、ということが言えるでしょう。私たちはどこかで、神様に従うことを安易なこと、すぐに目に見える結果が現れるものだと思い、そのために、神様に従い切れていないというようなことはないでしょうか。神様に従い抜いて十字架に架けられたイエス様を仰ぎ、イエス様に従い抜き、やがてイエス様と共にある栄光に与かる者とならせていただきましょう。

 中谷建晴



Copyright© Sakai Ohama Christ Church All rights reserved.