聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「安息日をきよく保ち、この日に何の仕事もしないなら」 (エレミヤ17:24)

今日のエレミヤ書17章では、裁かれるべきユダの国の人々の罪が指摘されるとともに、主から祝福を受ける生き方がどういうものか、ということが語られています。
1節から4節まででは、ユダの国が如何に偶像礼拝に汚されているか、ということが語られています。3節の「野にあるわたしの山」というのは、シオンの丘の上にあるエルサレムを指すと考えられます。「わたしの山」という表現に、裁きを宣告しながらも、神様が如何に心を痛めておられるか、ということを読み取ることができるのではないでしょうか。
5節から6節では、裁かれるべき罪人の姿が描かれ、それに続く7節と8節では、それとのコントラストで、神様からの祝福に与かる人の生き方が述べられています。そこでカギになるのは、5節と7節を比べてすぐにわかるように、誰を頼りとするか、ということです。神様を頼りにする者は祝福に与かる一方、人間を頼りにする者、すなわち、人が自分のことをどう思っているか、人が自分に何をしてくれたか、何をしてくれそうか、というようなことを基準に生きる者、あるいは、肉を頼りにする者、すなわち、自分がどう感じるかというようなことを基準に生きる者は、神様からの祝福に与かることはできない、というのです。私たちはどうでしょうか。
19節以降では、安息日を守ることが神様からの祝福に与かることができるか、そうでないか、の分かれ目となることとして語られています。安息日を守ることは、私たちが人間的な、肉的な生き方を選び取るか、それとも、神様に頼る生き方を選び取るかの分かれ目なのです。安息日を守ることで、私たちは神様を主とする歩みを選び直すことができるのです。主の日の礼拝を全力を尽くして守り、主からの祝福の中を歩む者とならせていただきましょう。

 中谷建晴



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