聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「彼らが断食しても、わたしは彼らの叫びを聞かない。」 (エレミヤ14:12) 今日のエレミヤ書14章では、深刻な干ばつがユダの国を襲うこと。そして、やがてはユダの国が徹底的に滅ぼされることが預言されています。 1節から6節では、ユダの国を襲う干ばつが如何に深刻なものであるか、ということが預言されています。 それに続く7節から9節はエレミヤの、助けを求める祈りです。20節でも述べられているようにエレミヤはユダの国が罪にまみれたものであり、ユダの国には救いを求める資格などないことがわかっていました。ですから、21節でも言われているように、ユダの国にもこういう所があるからということではなく、ただただ神様ご自身のお名前が侮どられることのないように、そのために、自分たちを救ってくれるようにと祈っています。これは罪を認めた謙遜な祈りであるようにも思えますが、神様はそのエレミヤの祈りに対して、10節から12節で「この民のために祈ってはならない。そんなことをしても無駄だ。ユダの人々の罪はあまりにもひどいし、その悔い改めもその場を何とかしのごうとするためのもので真実なものではない。もうユダの国は滅ぼすしかない。」 とおっしゃっておられるわけです。 私たちの罪も私たちが思っているよりもはるかに深刻なものです。私たちは滅ぼされて当然のものなのです。にもかかわらず、「自分も結構謙遜になった、結構へりくだったお祈りができるようになった」と見当違いのことを思っているようなことはないでしょうか。もっとひどい場合には、「これほど謙遜な姿勢を取っているのに、自分の願い通りのことをしてくれないなんて、ひどい神様だ」などというようなことを思ってはいないでしょうか。私たちは全く顧みられることもなく、滅ぼされて当然の者であり、ただ神様の一方的な恵みと憐れみと、イエス・キリストの尊い犠牲により救われただけの者なのです。裁かれるべき罪人として神様の前にへりくだり、そんな者であるのに救っていただいたことを感謝し、それ以外のものが与えられていることは、ただただ恵みであることを覚えて、全てを感謝して歩む者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |