聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって、『主は生き ておられる。』と誓うなら、」 (エレミヤ12:16) 今日のエレミヤ書12章は、エレミヤと神様との対話です。 まず、1節から4節で、エレミヤはなぜ悪いことをしている者が栄える、というようなことがあるのか、ということを神様に尋ねています。この時、エレミヤは自分の生まれ故郷であるアナトテという町の人々から不当な迫害を受けていましたので、これは切実な問題でした。 5節以降は、このエレミヤの問いかけに対する神様のお答えですが、その冒頭の5節の前半で神様はエレミヤに対して、もっと忍耐深くあるように、と譬えを用いて語っておられます。7節から13節で述べられているように、やがてエレミヤを迫害するアナトテの町も含めて、イスラエル全土がバビロンなどの国々によって徹底的に荒らされる日が来るのだからというのです。エレミヤの問いかけは、自分を不当に迫害するアナトテの人々を専ら念頭に置いてのものでしかありませんでしたが、神様のご計画は全イスラエルに及ぶ、はるかに規模の大きなものであったのです。さらに、14節以降で述べられているように、神様のご計画は、一旦はイスラエルが滅ぼされることを通して、イスラエル以外の国々が偶像を捨て、真の神様に立ち返るチャンスを与えることにあったのです。神様のご計画にはエレミヤの思いよりもはるかに深い大きな目的があったのです。ただ、エレミヤの思っているようにすぐに結果がもたらされなかっただけなのです。神様を信じ、忍耐深くありさえすれば、やがてエレミヤは、自分が考えていたよりもはるかにスケールの大きな神様の御計画が成就するのを目の当たりにすることができたのです。 私たちも神様を信じ、忍耐し、やがての時には神様の御業を拝見し、その御業に与かり、心から神様を賛美する者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |