聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「しかし、主はまことの神、生ける神、とこしえの王。」 (エレミヤ10:10)

今日のエレミヤ書10章では、まず16節までで、偶像礼拝の虚しさが厳しく指摘され、17節以降では、その虚しい偶像礼拝にふけったエルサレムの破滅が差し迫ったものとして預言されています。
17節の「包囲されている女よ」という表現は、エルサレムが危険の差し迫った状況にある、ということを語っています。
19節では、エレミヤが、エルサレムの滅亡を預言しながらも、そのことに深く心を痛めていることが表現されています。
20節では、エルサレムが天幕生活をしている母親にたとえられています。倒れてしまった天幕をもう一度張り直そうと思っても、手伝ってくれる子供がいなくてそうできないこの母親の姿は、殆どの住民が連れ去られてしまって再建など考えられなくなったバビロン捕囚後のエルサレムの状況をよく表現している、と言えるでしょう。
21節では、このエルサレム滅亡の主な原因が指導者たちの不信仰にあった、ということが語られています。
23節以降は、エレミヤがユダの人々のとりなし手として、神様に捧げた祈りです。エレミヤはまず、神様が自分たちの人生に主権を持っておられることを告白します。そして、バビロンやその手先となってユダを攻め滅ぼした国々の思うがままに、ユダが虐げられることのないように、と祈っています。エレミヤはバビロンなどの国々は、神様がユダを罰する道具として用いられているだけであることがよくわかっていたのです。
私たちを苦しめる相手も神様の支配の下にあるのです。その相手がどうだこうだということに囚われるのではなく、その背後にいらっしゃる神様の前に自らを正し、その神様に救いを求め、主の御業を拝し、主の御名を賛美する者とならせていただきましょう。

 中谷建晴



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