聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。」
(エレミヤ9:24)

今日のエレミヤ書9章でも、神様からの裁きとしてユダの破滅が預言されています。
1節では、ユダの滅亡にエレミヤがどれほど心を痛めているか、ということが語られています。しかし、続く2節の前半では、それと同時にエレミヤがどれほど罪を嫌っているか、ということが表現されています。このエレミヤの一見、相反するようにも見える2つの思いは、神様の思いを反映したものである、と考えられます。
神様は私たちを愛し、私たちが滅んで行くことに深く心を痛めておられますが、しかし、だからといって罪をそのままに見逃し、それでよいとすることはできません。それは、神様が何より聖いお方であるからです。神様はご自分のこの聖さに反することなく、私たちに対する愛を全うするために、完全に聖い者が、罪人の身代わりとなって裁かれることで、罪人が裁きを免れる道を用意して下さったのです。そして、そのためにご自分のかけがえのない一人子を犠牲にして下さったのです。それがイエス・キリストの十字架なのです。私たちはそこに現れている、神様の聖さをどれだけ畏れをもって仰いでいるでしょうか。また、そこに表された私たちに対する愛をどれだけ実感をもって受け止めているでしょうか。
25節と26節では、イスラエルと似た割礼の習慣のある国々の名前が挙げられ、形だけの信仰は力がないものであることが言われています。私たちはそうではなくて、24節で語られているように、神様の聖さと愛を深く心に覚え、その神様に応えて生きる者とならせていただこうではありませんか。

中谷建晴



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